「ものづくりのまち」として知られる東京都大田区における製造業の事業所数は現在3,584です。

大田区の工場数は、1983年の9,190件をピークに減少を続けてきました。

かつては、町のあちこちに工場があり、切削、板金、金型といった工程を支える中小製造業が集積していました。しかし今、その数は大きく減っています。

背景には、産業構造の変化があります。

大企業はコスト競争の中で生産拠点を海外に移し、安い部品を海外から調達するようになりました。国内の下請け、孫請け、さらにその先にある町工場の仕事は、少しずつ細っていきました。

その判断が、当時の経営合理性として間違っていたとは言い切れません。

しかし今、そのツケが回ってきています。
国内に残るはずだった技術が失われつつあります。図面を見て、音を聞いて、金属のクセを読み、機械のわずかな振動から異常を察知する人材が減っています。高い技術を継承する若い人材も不足しています。

それでも私は、いま踏みとどまっている日本の製造業に期待しています。

なぜなら、時代がもう一度「フィジカル(ものづくり)」に戻ってきているからです。





1. キーワードは、フィジカルAI

いま注目されている言葉の一つが「フィジカルAI」です。

フィジカルAIとは、ロボット、製造設備、防衛装備など、現実世界で動く機械やシステムにAIを組み込み、判断や制御を行わせる技術です。

この流れは、すでに日本企業への期待として表れています。

日本経済新聞2026年6月3日付の記事「フィジカルAI関連銘柄に熱気 エヌビディア超える株価上昇率」では、フィジカルAI関連企業への投資家の関心が高まっていることが報じられています。ロボット、センサー、制御システム、搬送装置など、AIが現実世界で動くために必要な企業群に注目が集まっており、ファナックや村田製作所などがその一例として挙げられます。

また、狭義の「フィジカルAI」からは少し外れるかもしれませんが、日立製作所は、生産ラインの不具合を自動で修正するAI活用に取り組んでいます。不具合を推定し、プログラムを自動修正する仕組みであり、製造現場の熟練者不足を補う技術として位置づけられています。

さらに、エヌビディア、鴻海精密工業、小米、シーメンスなど、海外企業も製造現場へのAI活用を進めています。これは日本だけの話ではありません。世界の製造業が、AIを現実の生産現場に組み込もうとしているのです。



2. 防衛、エネルギー、ロボティクスでも日本の製造業に視線が戻る

フィジカルAIが重要になる領域は、工場だけではありません。

三菱重工業は、防衛装備品に搭載する国産AI技術の開発に取り組んでいます。同社は、人工知能技術を持つ国内スタートアップと提携し、防衛装備品やシステムに搭載するAIの開発を進めるとされています。

このことが象徴的なのは、AIが単なる業務効率化ツールではなく、安全保障や防衛装備の中核技術になりつつある点です。

防衛装備、航空宇宙、エネルギー、社会インフラ。これらの分野では、AIだけが優れていても十分ではありません。AIを載せる機体、センサー、部品、通信、制御、安全性まで含めて、初めてシステムとして成立します。

ここで問われるのは、まさに製造業の総合力です。

世界では、中国がフィジカルAIやロボティクスの分野で先端を走っています。量産力やスピードという点で、中国は非常に強い存在です。

しかし、安全保障上のリスクを考えたとき、すべての製造を中国に任せてよいのかという懸念は、各国にあります。

そこで期待されるのが、日本の製造業です。

日本には、ロボティクス、精密加工、素材など、フィジカルAIを支える産業構造の厚みがあります。
そして、その厚みの底にあるのが、中小製造業であると考えています。

もちろん、大田区の町工場がそのままフィジカルAIの開発企業になる、という意味ではありません。
AIモデルを開発するのは、主に大企業やスタートアップ、研究機関でしょう。
しかし、AIが現実世界で動くためには、部品、治具、筐体、センサー取付、試作、改良、現場実装が必要です。その部分を支えるのが、まさに中小製造業の領域です。
フィジカルAIの時代に町工場が注目されるとすれば、それは「AIを作る会社」としてではなく、「AIを現実世界で動かすための足腰」としてです。



3. ソフトウェアだけで、人間の生活は支えられるのでしょうか

日本は、ソフトウェアやAIでは米中に大きく後れを取ってしまいました。この事実から目をそらすことはできません。

21世紀の前半を牽引したのは、明らかにソフトウェアでした。検索、SNS、クラウド、SaaS。巨大な富は、ソフトウェア企業に集中しました。

しかし、一度立ち止まって考えたいのです。

人が移動する。
食べる。
快適な空間で暮らす。
介護を受ける。
これらは、ソフトウェアだけで支えられるのでしょうか。

もちろん、ソフトウェアは必要です。AIも必要です。データも必要です。しかし、それらは現実世界に接続されて初めて、人間の暮らしを変えます。

ソフトウェアの経済的利益の大きさの陰で、私たちはハードウェアを軽視しすぎてこなかったでしょうか。「作る力」を、古い産業だと思い込みすぎてこなかったでしょうか。



4. SaaSは揺らいでも、ハードウェアへのニーズは消えません

「SaaSの死」という言葉すら語られるようになりました。

もちろん、SaaSがすべてなくなるわけではありません。しかし、ソフトウェアの世界では、今日の優位が明日の優位とは限りません。技術の波に飲まれるスピードが非常に速いのです。

一方で、ハードウェアへのニーズは消えません。社会インフラが止まれば、生活が止まります。

人間が生きていくために、最後に必要とされるものは何でしょうか。

現実世界を支える製造業の価値は、時代がどれだけデジタル化しても消えません。むしろAIが進めば進むほど、「AIを現実世界で使える形にする力」が重要になります。



5. 3周回って、製造業が最強になる

一周目は、ものづくりの時代でした。
良いものを作れば売れた時代です。日本の製造業は、品質と現場力で世界を席巻しました。

二周目は、ソフトウェアの時代でした。
インターネット、スマートフォン、クラウド、SaaS、AI。価値の中心は、ハードからソフトへ移りました。日本はこの波に乗り遅れました。

そして今、三周目が来ています。

AIが現実世界に入っていく時代。
ソフトウェアとハードウェアが再び結びつく時代。
データと現場、アルゴリズムと加工、AIとロボットが一体化する時代です。

この三周目で必要になるのは、ソフトウェアだけでも、ハードウェアだけでもありません。その両方をつなぐ力です。



6. 私自身も、日本の製造業に育ててもらいました

私の父は、三菱重工のエンジニアでした。
日本の高度成長期を支えた、多くの手の一つでした。大きな産業の歴史の中では、名前が残ることもありません。それでも、現場で技術を支え、設備を支え、ものづくりを支えた一人でした。

私自身も、新卒で入った会社は日立製作所でした。
当時の日立製作所が作っていた半導体の付加価値を高めるため、米国企業との交渉に関わっていました。

いま振り返れば、私は生まれてこのかた、日本の製造業に育ててもらってきました。
そして現在は、中小製造業の販路開拓やマーケティングを支援しています。

優れた技術があるのに、もっと広い市場との対話ができていない会社。
大企業の裏側で重要な役割を担っているのに、自社の価値を言語化できていない会社。

そうした会社に出会うたびに、日本の中小製造業には、まだ大きな可能性があると感じます。



7. 日本の製造業が、もう一度世界に必要とされるために

日本の製造業が3周回って最強になるには、単に「昔はすごかった」と懐かしむだけでは足りません。

必要なのは、現場の技術を守ることです。
次世代に継承することです。
AIやデータを敵ではなく道具として使うことです。
そして、自社の強みをきちんと発信することです。

町工場の技術は、黙っていても見つけてもらえはしません。

フィジカルAIの時代に、日本の製造業が本当に再評価されるなら、その入口には必ず市場とのコミュニケーションが必要になります。

私は、日本の製造業に育ててもらった一人として、その未来を支える、名もない多くの手の一つであり続けたいと思います。



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